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本ブログは自分の考えや思いを文章にまとめ、発信していくために使っていきます。現在はスクールカースト論についての独自の研究を投稿しています。

どうしてスクールカーストについての記事を投稿するのか

 今回の記事では、何故スクールカーストについて言及するのか、具体的に何を書くのかを説明していきたいと思います。

スクールカーストの簡単な概要

 そもそもスクールカーストとは何なのか。一言で言えば、学校において園児、児童、生徒、学生間に非制度的な地位の差が生じていることを指す言葉です。ここで言う非制度的というのは、例えば先輩後輩と言った学年の差や、普通学級か特別支援学級等の教育課程の違い等の教育制度上明らかな差を指すものではないという意味です。このスクールカーストの細かい意味については、言葉を定義づけする人によって異なり、統一的な見解は存在しません。よって、地位の差がどのような校種のどのような課程のどのような学科において、どのような特徴を持った集団もしくは個人を単位にして、何種類に、何によって生じるのかは、この言葉がどのような文脈でどのように使われているかで判断する必要があります。要するに、使う人や文脈によって細かい意味が異なるマジックワードです。上記の定義は、言葉の使われ方を鑑みて多くの定義を包括できるように、便宜上私が独自に定義したものです。世に流布しているスク―ルカーストの定義については、影響力のあるものを含めて多く存在していますが、長くなるので詳しくは次回の記事で解説しています。

 

どうしてスクールカーストについて言及するのか

 この理由については大きく分けて3つあります。

 まず、第一にこのテーマについて書き足りないという思いがあるからです。

 私は大学時代の卒業論文のテーマにスクールカーストを選んで研究しましたが、その際に50Pの予定が提出要件の関係上30Pまで削ることとなり多くの項目を削らざるを得ませんでした。そこで削った内容にはスクールカーストについての私の見解が多く含まれており、そのまま眠らせておくには惜しいと思っていました。また、卒論執筆後の考察や調査で新たに多くの知見が得られた結果、私の中に卒業論文で書いた内容を更新したいという願望が出てきました。そこで卒業論文に大幅な加筆修正を加えたものを文章の形で発表し、自分の中の気持ちを吐き出そうと考えたわけです。

 二つ目の理由は1つ目の理由と関連しています。それは、自分の中でスクールカーストというテーマについての思索を終わりにしたいという気持ちです。これは、スクールカーストについての研究を通じてこのテーマに対して否定的な思いが強くなったからです。

 私がスクールカーストについて初めて知ったのはいつであったかは覚えていません。おそらく、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のどこかの掲示板もしくはそのまとめサイトで目にしたのだと思います。そのときは、確かアメリカの学校ではアメフト部が幅を利かせているという話しと関連して語られていた(ジョックス*1という言葉も共に使われていた)と思うので「アメリカの話でしょ」と考えていました。大学の授業でスクールカーストについて聞いたときも、アメリカの話だろうと信じられませんでした。授業で紹介された和田秀樹スクールカーストの闇』(祥伝社黄金文庫、2013)も読んでみましたが、胡散臭い著者だなと思うだけで全然印象に残りませんでした。強い関心を持つようになったのは3年前、NHKBSプレミアムで放映された朝井リョウ『桐島部活やめるってよ』(2010、集英社)の劇場版(以下桐島)を見た感想を2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のなんでも実況ジュピター板(以下なんJ)の感想スレ*2で語り合っていたときでした。そのスレッドで桐島が盛んにスクールカーストと関連付けられていました。「こんなに気にしている人がいたのか」当時の私はこういう印象を持ちました。もちろん、スクールカーストを描いたとされる桐島のスレだからこそということもあるでしょう。とにかく、桐島スレでの衝撃からこの言葉に興味を持ち、3年の間スクールカーストに関連する多くの文献やネット上の投稿に触れスクールカーストについての理解を深めてきました。

 研究を続けていく中で強く感じたのは、私はスクールカーストとは無縁あるいは意識しないで学校生活を送ってきたなという気付きとこの言葉の曖昧過ぎる意味やその成立の背景にある価値観、流布の過程の問題性への呆れからくる空しさでした。

 私は小・中時代は友達が少ないどころか、周囲の子どもたちにあまり関心を持てず周囲の子供たちの関係にも無頓着でした。どのぐらい関心がなかったかというと高校時代の時点で嫌な奴らだったという印象があるぐらいで同級生の名前も顔もほとんど覚えていなかったぐらいです。高校時代は、友達が欲しかったこともあり少しは周囲の生徒に関心を持つようになり誰と誰がよくつるんでいるだとかは把握していましたが、そのつるんでいるグループ同士がどのような力関係にあったかという発想は全くありませんでした。当時の私は渡り鳥のようにグループの間を行き来していたこともあり、グループを中心にして周囲との関係を捉える考えもありませんでした。一学年が精々5~60人の小さな学校で、中学時代不登校だった生徒が多かったことも関係していたのか、嫌われる生徒はいましたが生徒間の力関係自体なかったと思います。もっとも私が気にしていなかっただけかもしれませんが。とにかく、私は児童・生徒間の地位の差など感じずに過ごしてきたわけです。ですので、卒論のテーマに選択したのはいいものの、スクールカーストが自分にも関連したこととして切実なものと捉えることはできませんでした。それでも、これについて研究することは何かしら意義があるだろうと思い調査を続けました。しかし、その思いも、詳しくは次回以降の記事で述べますが、前述の通りの意味の曖昧さや成立の背景にある「モテる」、「モテない」だといった論争とオタク蔑視、学者や評論家による出典を曖昧にした無責任で不正確な言葉の流布とそれに伴う言葉の権威付けが判明していくにつれてうんざりした気持ちに変わりました。卒業論文を完成させられたのは、ただ「卒業できないのはごめんだ」という執念が私を突き動かしたからに他なりません。

 なんとか卒業論文を完成させることはできましたが、前述の通りページを削らなくてはいけなかった上に、突貫工事で作ったことから推敲が足らなかった部分や調査不足もありその内容には不満があります。一方で、スクールカーストにうんざりしていることは変わりありません。そこで、卒論の内容を発展させた文章を完成させてスクールカーストへの思索にケリをつけようと考えたのです。この文章執筆を通じて、自分の中のスクールカーストへの思いに一区切りをつけようと思っています。

 3つ目の理由は、世間に流布されているスクールカーストについてあまり知られていない事実、この言葉を紹介した文献の問題点、私自身のスクールカーストについての考察を人々に伝えたいと思ったからです。

 あまり知られていない事実というのは、例えばスクールカーストという言葉の誕生の経緯についてです。スクールカーストはその流布の過程において、その初出や成立の背景、誰が主張していたのかが十分に記述されておらず、次回以降に紹介することになるスクールカーストを扱った文献からはそれらの情報は分かりません。他にも、スクールカーストという言葉が一般化するまでの歴史やこの言葉の登場以前にもあった類似言説の存在、この言葉に言及してきた人々についても文献だけでは分かりません。これらの情報を知るためには、文献の記述を参考にするだけでなくスクールカーストという言葉が生まれたネット上の投稿を発掘し分析するしかありません。そこで、私は研究の過程でその発掘と分析を行い、いくつかの事実を見出しました。私がまとめた事実はスクールカーストという言葉の性質を考える上で無視できない情報ですから、この情報は自分だけが独占すべきではなくこの言葉に関心がある人に伝えるべきだと思いました。

 次にスクールカーストを紹介した文献の問題点についてです。ここで言う問題点とは具体的には、この言葉についての調査不足に伴う誤解、この言葉についての知識の隠蔽、既存のスクールカーストの定義や見解についての無批判な言及、根拠がない、もしくは信頼性の低い調査に基づくスクールカーストの実態への言及、文章からにじみ出る著者の偏見や誤謬、根拠がなく、無責任なスクールカーストへの対応策の提示が挙げられます。「信頼のおけない文献ならば無視すればいいじゃないか」という意見もあるでしょうが、研究の作法で言えば既存の文献への言及は避けて通れませんし、8万部以上の発行部数*3を誇る鈴木翔『教室内カースト』(2012、光文社新書)と言った一定の支持を受けている文献も存在しているので、既存の文献を信用している人々への反論もかねて前述の問題点を指摘すべきだと考えたのです。なによりも、スクールカーストについて研究していて既存の文献の記述の信頼性のなさにイライラさせられたので、前述の問題点を指摘し既存の文献がいかに信頼できないかを世に知らしめてやりたいと思ったからです。

 私自身のスクールカーストについての考察とは、文字通りこの研究の過程で得られたスクールカーストに関する私自身の見解のことです。何故自身の見解を述べるのかと言えば、既存の文献を批判する以上は自身の見解を述べるべきですし、せっかく研究したのだからぜひとも内容をまとめて公表したいという思いがあるからです。何よりも、この作業を行うことによって私の中でのスクールカーストへの思索に区切りがつくと思っているからです。

スクールカーストの何について語るのか

今のところは下記の事項についての記述を予定しております。

スクールカースト定義の紹介と分類

・登場以前から現代までのスクールカースト言及の歴史

スクールカーストの影響力のある定義の批判的考察と提唱者の紹介

スクールカーストについて言及した文献の批判的考察と著者の紹介

スクールカーストという言葉をどのように捉えるべきか

スクールカーストが示す非制度的な地位の差についての考察

スクールカーストという言葉が広がった背景

・その他関連事項について

スクールカースト総括

必要に応じてこの他の事項についての記事を投稿したいと考えています。

最終的な目標

 スクールカーストについての研究成果を役立てるために、ウィキペディアはてなキーワードアンサイクロペディアピクシブ百科事典、ニコニコ大百科の記事を改定します。具体的には、言葉の初出、歴史、提唱者、使われ方、定義について改訂を加えたいと考えています。特にウィキペディアはてなキーワードはこの言葉を始めて知った人が参考にすると考えられるサイトなのでより詳しく記述します。

 ネット百科事典の編集を通じてスクールカーストについての事実を広めたいと考えています。

 

次の記事では、スクールカーストについての様々な定義を紹介、比較していきます。

それでは、また。

*1:スポーツ馬鹿を指す英語のスラング

ブルックス・ブラウン『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』(2004、太田出版)では上記の意味で訳されていた

*2:具体的には下記のスレッド

BSプレミアム桐島、部活やめるってよ [転載禁止]©2ch.net

https://orpheus.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1448884807/

BSプレミアム桐島、部活やめるってよ 2 [転載禁止]©2ch.net

https://orpheus.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1448888394/

【反省会】桐島、部活やめるってよ [転載禁止]©2ch.net

https://orpheus.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1448890897/

全て(2018/10/01/17:36)閲覧

*3: 朝日新聞2013年4月24日付け朝刊 、3ページ下部の広告より。下記のページに画像あり

「★「教室内(スクール)カースト」という言葉|ジャーナリスト 石川秀樹」

https://ameblo.jp/hide7mail/entry-11517488495.html (2017/12/13 14:49)